男の化粧は・・・ローションパシャパシャまでは許すんだって!!!
バイクも人間もノーメンテ。(←基本) きっし~です。
半年以上もほったらかしにしていた俺の歴史シリーズですが、
シーズンオフでネタも無いので続きでも書いてみようかと思います。
が、メンドクサイので辞めたい・・・つか辞めた。
嘘。
何人かには期待されてるそうなのでボチボチ書いてみます。
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この年は「ライダースハウス32」というショップより、鈴鹿・TIの両選手権のSP250に出場いたしました。
この年にSP250を走っていたのは有名処だと
・青木治親選手
・藤原克昭選手
・芳賀紀行選手 などなど・・・
まぁ一切相手になってなかったですが。 俺がw ←当然
この頃の鈴鹿選手権は前年の12月に翌シーズンの第1戦が行われており(1992シーズンの初戦は1991年12月)、第1戦は自分のバイクで出場したものの焼きつき等あり満足な結果は出ませんでした。
そして第2戦(西コース)で雨の予選で12位(出走295台!)、決勝は晴れたお陰か4位になり初めて鈴鹿でトロフィーを貰えました。その後は南コースで3位表彰台をGETしたのが最上位。あとは6位とかそんな位置を走ってましたが、シーズンが終わってみれば何故かランキング2位( ゚д゚ )
TI選手権の方は苦手なレイアウトのコースということもあり、あんまりパッとしない成績でランキング10位でした。
雨のレースでは一時トップを走ったりしてたんですが、そのレースはマシントラブルでリタイヤ・・・それが完走できてたらランキングももう少し上だったのにw
まぁそんな感じで目立つ走りをしてた訳でも無く、「なんとなくセカンドグループを走ってたらこの位置でした」みたいなリザルトを重ねつつ翌年のNA(国内A級)昇格が決まってしまった訳ですよ。
NAに上がったらレーサー250に乗りたいと思っていたんですが、所属してたチームからは「NA上がったら面倒見ないよ」と言われていたので、雑誌に”チーム員募集”と載ってたとあるチームに面接に行きました。
面接してその場で合格を貰ったのは良いんですが入会金5万円・月会費5000円という今じゃ考えられないようなシステムが存在しておりました('A`)
まぁ後で元取ったから良いんですがw
そのチームにそういう負担を払ってまでも入部した事が自分のレース生活の第一ターニングポイントでしたね!
そのチームとは「テクニカルスポーツ(現TSR)」。
三苫さんと同じチームですw
そしてRS250を注文して1993年シーズンに突入していきます。